そもそもなぜ、豊臣秀吉は太閤と呼ばれたの?

まずは気になる「太閤」の意味から。もともとは平安時代に摂政や太政大臣の敬称として用いられていました。その後、関白をその子に譲った人を称するようになったことから、関白を養子の秀次に譲った秀吉も称しました。

ですから、太閤というのは秀吉だけでなく、平安時代にほしいままに権勢を振るった藤原道長も、摂政を息子の頼通に譲ったあとは、太閤を名乗っていました。また、秀吉の没後、江戸時代にも太閤を名乗った貴族は複数存在します。
でも、「閤」の読みは、この太閤と全然違う、スケールも小さめのもの。家に関係があるものです。
今の時代も火災の現場で命を守ってくれている、頼りになる存在

正解は「くぐりど」です。
そうです。腰をかがめないと入れないあの小さな入口です。大きな家や学校の正門の脇に設けられているのを目にしたことがあるのではないでしょうか。「潜り戸」とも書きます。

実は「閤(潜り戸)」、現代では防火設備としても活躍しています。建築基準法で、ある規模以上の建物には、延焼を防止するために防火戸の設置が義務付けられています。
ただ、閉まってしまうと逃げ遅れた人までも通れなくなってしまいます。そこで戸1枚の大きさが3㎡を超える場合、戸の一部に「閤(潜り戸)」を設けることが義務付けられているのです。
「閤」は偉人ではありませんが、命を守る戸として立派な役割を果たしているのです。
画像/PIXTA(漢字画像を除く)