TOP よみもの 連載 【連載】ガウディと部品 田中裕也 【連載 ガウディと部品】サグラダ・ファミリア教会付属小学校の煉瓦工法

【連載 ガウディと部品】サグラダ・ファミリア教会付属小学校の煉瓦工法

私が初めてサグラダ・ファミリア教会を見学したのは、いま原稿を書いている2022年2月9日の今日からちょうど50年前のことである。大学3年生の終わりかけのころで、4年生前期の卒業論文の課題が出されていた。

当時の私は西洋の芸術様式の中でも19世紀末から20世紀初頭にかけて興った芸術運動――それはアール・ヌーボー(Art nouveau/フランス)であり、ユーゲント・シュティール (Jugendstil/ドイツ)であり、アーツ・アンド・クラフツ(Arts and Crafts Movement/イギリス)であり、モデルニズモ(Modernismo/スペイン)であった――その時代が持つ様式に興味を持っていて、できれば現地で見学がしたいと考えていた。

そんなとき、建築学会で21日間ヨーロッパの旅が計画されているという情報を大学の広告版で見かけた。早速、家族に「そのツアーに参加して現地で資料を収集したい」と提案をしたところ、兄がサポートしてくれることになり、サグラダ・ファミリア教会との出合いを果たすのである。

サグラダ・ファミリア教会付属小学校

そのツアーはギリシャに入り、そこからイタリア、ドイツそしてスペインを巡るコースであった。スペインに入ったころには興味のあった19世紀末を始めとするさまざまな建築を目にして、建物に対して“普通に”関心を持つことができていた。

ところがどうだろう。スペインのバルセロナでガウディ作品の現物を目の当たりにしたときは事情が違っていた。とりわけサグラダ・ファミリア教会を初めて目にしたときは「これ建築なのか」と思ったほどであった。そして自分のなかで「これが建築家の仕事というなら私にはできない」という強い拒絶反応が起きた。そして幼いころからの建築家への志を断念するか否かという気持ちが湧き上がってきたのである。

「どうしよう」と逡巡しながらも、写真も撮り、また建物にまつわる文献や資料類も入手し、日本に戻ってからはそれらで卒業論文も仕上げた。ただそれから5年経ってもあのとき受けたショックが忘れられず、「どうして自分はそんな状態になったのだろうか」と、その理由が知りたくなった。

サクラダ・ファミリアの教室

大学を卒業してから大阪の建築事務所に就職。3年間、社会経験と実地を踏み、お金を貯めて事務所から辞職。そしてバルセロナに来た。「3年間は仕事をしなくても興味あるガウディの勉強ができるのだ」と思っていた。

しかし人生はそんなに甘いものではなかった。

バルセロナに着いたその日にその貯蓄がすべてスリによって消えてしまったのだ。散歩中のできごとだった。

それは私の受難の始まりだったが、私の人生が一変する事件だった。あとから見れば苦労ばかりではなく、慈悲もあったのである。と同時に、好奇心に身をゆだねた独学の始まりと言っていいだろう。

サグラダ・ファミリア附属学校

いまでこそ、“実測家”という肩書を持つ私だが、ガウディ建築を実測することは、まったくもって私の能力外であり、当初は考えてもいなかった。そのきっかけを与えてくれたのがグエル公園だった。

そこからは地中海を臨むことができたが、その景色は実家のオホーツク海を思い出させるもので、私は毎日のように公園に通っていた。スペイン語も英語もできず、途方に暮れた心を抱えながら3カ月間も通っただろうか。その間、見晴らしの良い階段に腰掛けていると、自分の志しであった建築家になる夢をこの期に及んで諦めるのか――という気持ちが横切ることもあった。しかし、考えてみれば本来ガウディの研究をするためにバルセロナにやってきたのだ。であれば、その方向に進むしか道はない、と決断した。

そこでその一歩目として、この階段のスケッチと実測くらいなら自分でもできると、すっと受け入れることができた。実は私はひどく絵が下手で、実測と作図をずっと避け続け、他人様に自分のデッサンを見せる自信もなかったのだ。でも、その時には先のことは考えないことにした。 しかしそれはデッサンと実測を重ねながらのガウディの本質を探る旅となり、現在に至るのである。

次第に原書も読めるようになった。ガウディの日誌もすべて翻訳できるようになった。しかもガウディの作品18点のうち12点も実測した。

サグラダ・ファミリア

なかでもこのサグラダ・ファミリア教会附属小学校は、私が実測を行った当時は、現在の受難の門の横ではなく、栄光の門側にあった。サグラダ・ファミリア教会で働く労働者の子どもたちのために、1908-1909年に建てられたものである。

この作品は煉瓦造で、壁と屋根はすべて煉瓦でできている。そしてこの構造体には直線がない。むしろ幾何学的なアプローチでつくられた建築物で、煉瓦の特性を最大限に利用した作品だ。

1928年、建築家ル・コルビュジエ(1887-1965)がバルセロナに訪れた。バルセロナの建築家であるホセ・ルイス・セルト(1902-1983)の案内でガウディの建築群を、そしてこの附属小学校を見学した。 後にル・コルビュジエは、その附属小学校のデッサンを含めて『ガウディ』という本を執筆している。同時にガウディ建築の影響もあってだろうか、その後の彼の作風もガラリと変わってしまう。

サグラダ・ファミリア教会附属小学校のファサード

私はこのサグラダ・ファミリア教会附属小学校が、シェル構造の始まりとしてみている。現在ではこのような構造体を非線形としてみているようだが、私が建築学生のころは膜構造とかシェル構造と呼ばれていた。

それをガウディは煉瓦の中でも厚さ15mmというラシージャ(rasilla)という薄いレンガで2層、3層と重ねて葺きあげる、カタルーニャ地方の伝統的なレンガ積み工法のひとつである「カタラン・ボールト」を利用していた。この附属小学校ではさらに厚さ45mmの煉瓦を層にして葺きあげている。

この手法では補強金属がなくても膜構造を作ることができる。ところがこのあたりまではル・コルビュジエはこの構造を知ることがなく、後に鉄筋コンクリート造で類似の構造体を作っている。

ガウディはこの伝統構法を終始使いこなしているのだが、これを重視していた理由は煉瓦がもっとも安価な素材であるということ、そして自由な彫塑を作ることができるということである。それをガウディは職人たちとともに開発し、グエル公園ではその手法を発展させ、プレハブ工法の開発に至っている。

画像/PIXTA(1枚目サグラダ・ファミリア教会附属小学校の外観写真、6枚目サグラダ・ファミリア教会附属小学校のファサードを除く)

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書き手:田中 裕也

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