「エル・カプリチョ」はガウディの初期の作品であり、地方の代表的な作品である。
場所は北スペインのカンタブリア州の州都サンタンデールから海沿いを西に40kmほどのところにある、カンタブリ海に面した町コミージャスだ。その昔は捕鯨の港町として知られていたが、今はイワシ漁が盛んで、この町に入るとどことなくイワシの炭焼きの匂いが漂う。
この町の出身者に19世紀初期にキューバに出稼ぎに行き、その後、汽船業者として成功したアントニオ・ロペス(1817 – 1883)がいる。後にコミージャス侯爵に叙せられ、スペイン国の繁栄に貢献した人物だ。彼はガウディのパトロンであるエウセビオ・グエル(1846 – 1918)の義父であり、またエル・カプリチョの依頼主であったマキシモ・ディアス・デ・キハーノ(1838 – 1885)とも縁戚関係にあった。
キハーノは作曲家としても活躍したようだが、本職は弁護士だ。ロペスの顧問弁護士であり、キューバでの事業でともに財を成している。そのキハーノが45歳のとき、31歳のガウディに夏の別荘を依頼、これが後の「エル・カプリチョ」となる。
スペインにおいて、本来であれば家の名前は苗字で呼ばれるのが通常である。とすれば「Casa de Quijano」(カーサ・キハーノ/キハーノ邸)となるところだが、いつの間にか「エル・カプリチョ」というように呼ばれるようになった。エル・カプリチョとは“奇想”“気まぐれ”という意味を持つ単語である。
私が最初この家を訪ねた時、持ち主は地元の家具屋さんであった。邸内を見ることは叶わず、外観のみを見るのみだったが、1989年に改装されてレストランとなり、その後、日本の企業に売却されている。そして2009年、当時の所有者から連絡があり、この家の修復と顧問の依頼を受けた。それまでのレストランとしての使用での問題点を説明され、そして今後どのようにこの建物を維持するのがよいかという相談であった。
私はすでにこの建物に関しては1983年に王立ガウディ研究室から立面図の作図の依頼を受けており、写真から寸法を割り出して実測図を描いていた。また1995年、レストラン時代のマネージャーからの誘いを受けて現地に赴き調査をしたことがあり、現地で実測させてもらい、一連の作図を描いたことがある。
そして実測・作図をしているうちに面白い詳細を発見した。ステンドグラスのモチーフである。ステンドグラスを観察すると、ハチがギターを弾いているシーンとナイチンゲール(サヨナキドリ)と思われる小鳥がオルガンの上に止まり、囀っているようなシーンとなっている。草花の模様のなかで蝶々が舞っている構図もある。
では、なぜガウディはこのようなモチーフを採り入れたのだろうか。ガウディの日記には装飾とは歴史、アイデンティティ、神話などが表現されているものだと示しており、ハチや小鳥もなんらかの必要性があってのデザインということになる。
私自身、当初はこれら装飾をガウディ特有のデザインであると見ていた。しかし、ガウディの装飾に対する考え方を鑑みるに、このエル・カプリチョにある装飾的なデザインは施主の個性を表現しているとするとしっくりする。つまり作曲家でもあったキハーノのアーティスト気質を小さな動物達を利用して演出していることが見えてきたのだ。
ちなみにガウディとキハーノは直接会うことはなかったようだ。この家が計画された1883年は、サグラダ・ファミリアの二代目建築家となった年であり、多忙を極めていたため、この地で直接、職人たちに指示を出すのは難しかっただろうと推察される。
それでもガウディが彼の協力者達との会話のなかで、キハーノについて言及したことがある。お得意のジョークと比喩をからめて「衝突しない唯一の方法は知らずに離れていること」と話したのだ。
このコメントから、施主とは距離を保つよう勧めるニュアンスが汲み取れ、依頼を受けたときから、すでにキハーノには問題があったように受け取れる。アーティストとしての施主の気質は、ガウディに目にはあまりにも“気まぐれ”すぎるように見えていたことから、施主とは距離を保つことを協力者達にコメントしていたという洞察になる。
直接、ガウディの考えを聞くことはできなくても、実測・作図をするようになってから、ウイットを効かせた作品作りはガウディのデザイン特性であると気がつくようになった。またそれは、じっくり作品と向き合って詳細を知り、その奥にある彼の思いを理解できるようになってからのことだ。
画像/PIXTA(1枚目エル・カプリチョの外観)