ガウディ建築の中で興味を誘う幾何学がある。それは螺旋である。螺旋で思い出すのが13世紀のイタリア数学者レオナルド・ピサーノ(Leonardo Pisano、Leonardo Fibonacciとも/1170-1240)によるフィボナッチ数列(英/fibonacci sequence)だ。
フィボナッチ数列とは、1,1,2,3,5,8,13, 21,34,55……のように,各項が「前の2つを足した値」になるような数列のこと。フィボナッチ数とはこの数式に登場する数を指す。
この数学者による自然観察から見られる数字の特性と螺旋状の広がりが幾何学として、しかも黄金分割との関わりをも説いている。
ではガウディの描く螺旋はフィボナッチ数による螺旋に関係があるのだろうか。実際には同じ螺旋でもその螺旋の広がり方が異なる。

とくにサグラダ・ファミリア教会における彼が製作した模型から、円錐を幾何学の母としてガウディが捉えていたことが見てとれる。つまり円錐には、点から始まり、円、三角形、楕円、放物曲線、そしてこの螺旋までも含むというのだ。さらに教会に関しては人間の体と同一視している。だから身廊というのは人間の体における胴体であり、後陣の部分は、頭となり、交差廊は、人間の胸の部分となる。そして袖廊というのは腕の部分となる。
ガウディがサグラダ・ファミリア教会と設計に携わっていた1883年から1926年、最初に計画したのがその袖廊の東側にある「生誕の門」という名前の入り口だ。そして彼が亡くなった1926年のときも、この門さえ完成には至っていなかった(完成は1930年)。
この門には4本の鐘楼が建っている。正面に向かって左側からベナルベの塔、シモンの塔、ユダの塔、そしてマティアス(マタイ)の塔となっている。これらの名前は12聖人のうちの4人から取られており、それぞれの聖人の彫刻も塔のほぼ中央に設置されている。

それぞれの鐘楼のベースは一辺が7.5mの正方形の角柱として立ち上がり、途中から鐘楼としての役目を果たすための、カリジョン(カリヨン/鐘楼に吊るす、多数の鐘による打楽器)を収める内部空間を持つ。当時もそうだが、教会建築の建設現場の足場というのは建物そのものが足場となるような壁構造を持つ。だからこの鐘楼においても、その壁の内部に階段が収まり、階段に沿って石が積み上げられている。基本的にレンガで躯体を組み上げ、仕上げを組石として施工されていた。その現場は、後陣の控え柱でも見ることができる。

鐘楼における螺旋階段、初めの螺旋階段は下から上まで同じサイズの踏み段が128段積み上げられている。その蹴上は21cmで幅は60cmである。非常用の階段であるためにその寸法でよかった。
この階段について、実はガウディの独自のアイデアではなくフランスを発祥とするゴシック建築で見られる形であり、むしろ中世時代の城塞建築の階段であった。その証拠に19世紀初頭、フランスの建築家ヴィオレ・ル・デュク(1814-1879)の執筆した『フランス中世建築事典』のなかで、その説明が見られるのである。この事典は当時の建築家たちの参考書として知られており他にもガウディが利用している詳細が随所に見られる。従ってガウディもまた自分の建築計画では参考した書物であるということも言える。

この最初の螺旋階段は中央に控え柱がなく階段桁で支えている。つまりこの階段室の中央には穴が空いている。そこで日本では見ることがない階段であることから、私が“目抜き螺旋階段”と命名した。この階段は小さい空間であるが機能的である。しかも城塞建築のディテールとして利用されていたことから、その機能性も推して知るべし、である。
では、どうしてこの螺旋階段には控え柱をつけなかったのだろうか。控え柱を備えると、槍や剣といった長い武器を持ち運ぶことが難しくなる。あくまでも城塞建築としての機能を重視することで、長い建材等も持ち運ぶことができる合理的な螺旋階段ということになる。そして、この階段を最上部から覗くと、まるで巻貝の螺旋のように見えてしまう。もちろんサグラダ・ファミリア教会の場合、円柱に収まっている螺旋階段なので遠近法でそのように見えているだけのことであり、実際のところ、巻貝のように円錐状の螺旋ではないということも理解をしているのだが。
画像/PIXTA(螺旋階段、立体図画像を除く)